自己紹介(長編)3 最終話!?

自己紹介最終話!?第3弾までお越しくださいまして

誠にありがとうございます!



自己紹介1、自己紹介2はご覧いただきましたか?

まだお読みでいない方は、まずそちらからたどっていただくと

私の経歴が詳しく!?書かれていますので

そちらからまずお楽しみください♪



第1弾、第2弾ともうすでにお読みいただいて、

第3弾にみえた方!もうコレで私の経歴丸裸です(笑)



適応障害になってからここまで

どんな経歴をたどってきたか、最終話お楽しみくださいね☆




<目次>

17.看護助手生活の開始と同時にギックリ腰!

18.神の声?!やっと私も報われる?

19.一難去ってまた一難

20.定住先がやっと安定?!

21.安住できると思いきや、引きこもり生活?

22.無理矢理教会に行かせているの?!

23.滞在中に大切なパートナーができ、その後帰国、婚約へ

24.国境閉鎖、長い遠距離恋愛の幕開け

25.話し合いを重ね、遠距離を乗り越える

26.国境が開くとすぐに渡豪

27.これからがやっとスタート




<本文>


17.看護助手生活の開始と同時にギックリ腰となり再度孤立


タスマニア生活を終え、シドニーへ帰ると私はすぐさま田舎での仕事斡旋を希望しました。

シドニーでの生活によって、過去の記憶がフラッシュバックされることを恐れたからです。


職場はシドニーよりも4時間弱北方の田舎町ハンターバレー。

同期はおらず、周りには日本人の知り合いがいないシェアハウスで新たな生活が始まりました。


契約した職場の上司はとても良い方で、すぐに派遣として働き始めた3日目の朝。

急に腰に激痛が走り、動けなくなってしまったのです。


ベッドから起き上がることもままならず、すぐさま会社へ連絡し、休む事を伝えました。


困った・・・。


ベッドから起き上がれない。

病院へ行くにも誰も頼れる人がいない。

キッチンにもトイレにも行けない。

これから私どうなっちゃうの?!?!


昼頃までベッド上で過ごした私は、ついにトイレに行きたくなってしました。

起き上がれません。


ここで漏らすわけにも行かないので、痛い腰にむち打ってトイレまでの3mの距離を10分かけてやっとたどりつきました。


トイレに座ることも難しく、やっとの思いで用を足すことができたら涙が止まらなくなってしまったんです。


このままどうしたら良いのだろう・・・。

誰にも頼れない。

誰も知らない。

友達もいない。

お金も稼がなきゃ生きていけない。

この腰ではどこにも行けない。

不安の波が押し寄せもうポジティブなことを考える余裕もなく、悪いことばかり考えてしまいます。


また、トイレから立ち上がることもままならず、このまま治らなかったらどうしよう・・・私ここで野垂れ死ぬの?!とまで考えていました。


このままここに居続けたら、他の同居人に迷惑がかかると思い、なんとかしてトイレから脱出。

たった往復6mの距離に疲れ果てた私は、ベッドに横たわり考えを巡らせます。


このままの状況が続いてしまったら・・・どうやって生きていこうか・・・

ここから私の脳内シミュレーションが始まります。


あらゆる状況を想定し、ベッドから起き上がる方法、病院、腰痛改善ストレッチ、救急車の呼び方、食材デリバリーサービスなどなど、今自分に必要な情報を思いついた物からすべて調べました。


最悪の状況を想定し、今後収入がなくなった場合の生活費、帰りの電車、バス、空港チケットに至るまで計算して、もしこのまま治らなかったときの事まで考えていたのです。


1人で生きていくためには、これから起こりうることをいろんな角度から考え、それに対する対処を学ばなければ生きていけない!と感じ気づいたらネットに釘付けになっていました。


その後は、とりあえず調べた内容を実行するのみ!

マットレスの交換をオーナーに掛け合い、

オンラインショッピングでデリバリーの利用、

心配してくれた同居人に松葉杖を貸していただきなんとか移動手段確保、

奇跡的に家の隣がスポーツ鍼灸のため翌日駆け込み、

あとは絶対安静。


今できうる対処を実行していきました。


何回か鍼灸に通い、コレで良くなるかな・・・と思ったものの改善せず。

お先真っ暗・・・の状態が約2週間続きました。


その間にもどうしたら生き延びられるかばかり考え、藁にもすがる思いで同居人に泣きついて徒歩5分の距離にあるクリニックまで車で連れて行ってもらったのです。


到着後同居人に連れてきてもらったことにお礼を言い、クリニックの待合室で1人、順番を待っていました。


椅子に座ることもままならず松葉杖を支えに「コレで治らなかったらどうしよう・・・」と今にも泣きそうな表情だったことを覚えています。


やっと自分の順番が来て、そこでも椅子には座れず医師に病状と今までの経過を説明しました。


鍼灸の話しをすると、その医師も鍼灸の資格を持っているとのことで、患部に針を1本刺してもらうことに・・・


そんなんで治るのかな・・・

鍼灸で治らなかったのに・・・


と不安になっていたのも一瞬!!


針1本で改善!!


恐る恐る動いてみると、いつもの痛みもしびれもなし!!


信じられないという感情、驚き、治ったうれしさで感情がぐちゃぐちゃになり気付いたら医師の前でワンワン泣いていました。


その後医師と固い握手を交わし、松葉杖なし、徒歩で帰れる幸せをかみしめ家路に着きました。


いままで助けてくれた人たちに心から感謝をし、仕事を再開するまでに回復したのです。



18.神の声?!やっと私も報われる?


腰痛が治り、あとは仕事に励むだけ!と無心で働いていた頃。

仕事先でちょくちょく顔を合わせていたインド人の看護師さん(以下:ナース)が急に「大丈夫?元気?」と声をかけてくれました。


たわいもない会話をした後、「日曜日にミサがあるから、興味があるなら一緒に行かない?」とお誘いを受けたのです。


今まで、友達もおらず、休日おでかけする用事も特になかったため、お誘いが嬉しくて2つ返事でOK!


ドキドキワクワクの日曜日を迎えました。


ナース家族がシェアハウスまで迎えに来てくれて、車で40分ほどの教会まで向かったのです。


着いてみたらビックリ!牧師さん?も来ている方達もみんなインドの方でした。

可愛らしい子ども達も数名いて、私に気を遣って英語で話しかけてくれたのです。


一気に十数名のコミュニティーに入った私は戸惑いを隠せませんでしたが、オロオロしているうちにミサが始まりました。


ミサ中も私を気遣ってくださり、英語で話していただけました。

するとおもむろに私に話が飛んできたのです。


「何か困っている?」


今までの体調不良や1人での生活の不安など心身ともに疲れていた私は、その一言で蓋をされていた感情が一気にあふれ出し涙が止まらなくなってしまいました。


牧師さんがいろんな言葉をかけてくださっていたのですが、全く耳に入ってこなくなってしまいました。


気づいたら泣き崩れ、いろんな人たちに囲まれ抱きしめてもらっていたのです。


ミサの後、私に声をかけてくれたナースが、勤務中に私に話しかけてくれた経緯を話してくれました。


「見かけるたびに気になってはいたのだけど、あの日はどうしてもミサに誘わなきゃいけないと思ったの」と。


このときばかりは、クリスチャンじゃない私も、神様の存在って凄いな、不思議なご縁だなと感じました。



19.一難去ってまた一難


ぎっくり腰の後順調に生活できていたと思っていたのも束の間、最近入居してきた同居人にこのシェアハウスが閉鎖されることを知らされました。


他のシェアメイトに聞いても、同じ事を言われたのでこの情報は間違いない。

どうしよう。


田舎町ではシェアハウス自体が珍しく、ここしかないと言われて職場に斡旋してもらったのに・・・。

どうしよーーーー!


どうもこうも家がなきゃホームレスだ。

ホームレスで職場に通うわけにはいかない・・・。


すると、その情報を教えてくれたシェアメイトが家を貸してくれる人を知っているから一緒に来る?と誘ってくれたのです!!


なんていい人なのだ!


このタイミングを逃すと、いつ引っ越しできるか、追い出されるかも分からない!

そう思った私はその話に飛びつき、シェアメイトとともに新しい家へと行きました(1度目の引っ越し)。


ブドウ狩りの仕事を斡旋しているタイ人のママでした。


最初は"娘ができたかのように思っている"と言い優しくしてくれていたのですが、数日経たないうちに「もっとブドウ狩りの人員を集めたいから他の家に移れ」といわれ2度目の引っ越し。


オーストラリア人のおじいさんの家でした。


ちょっと強面のおじいさんでしたが、話してみると意外にお茶目な部分があり、いい人やん!

やっとここで楽しく定住できる!と最初は思ったのです。


最初は・・・ね。


住み始めて約1ヶ月の時、そのおじいさんが突然「家賃払っていないから来週出て行け」と私に言ってきたのです。


え・・・?私、支払ってますけど?先週(週払い)も払いましたよ?


そう言われたのが突然で、仕事に行く直前だったので、出勤後ずっとおじいさんの説得方法を考えていました。


仕事もままならず、良い説得方法もみつからないまま帰宅。

領収書などの証拠がなかったため、とりあえず自分の家計簿を見せながらおじいさんの説得を試みました。


しかし「払ってない、出て行け」と一点張り。


・・・ガ・ン・コ・・・(怒)


またも定住先を失おうとしている危機が訪れてしまったのです・・・。


信じてもらえなかった怒り、悔しさ、悲しさから涙が止まりませんでした。

このとき、悲しさよりも、怒りの方が強かったのを覚えています。


これ以上おじいさんと一緒にいるのは嫌!!と思った私は、すぐさまタイママに電話をしました。


「これ以上自分を信じてもらえない人とは一緒に住めない。来週と言われたけど私は今すぐにでも出て行きたい」


泣きながら伝えると、タイママが迎えに来てくれました。


電話したときはすでに外は真っ暗。

夜逃げ同然に、荷物をすべてタイママの車に乗せ、とりあえずタイママの店へ向かうことになりました。


一緒に車に乗るのかと思いきや、ママが私の唯一の移動手段である自転車が車には乗らないと言ってきたのです。


自転車がないと出勤できない、けど自転車を取りに行くにはおじいさんの横を通らないといけない。

これ以上顔も見たくないのに・・・。


しかし、このときまだ怒りが勝っていた私は、何を思ったのかおじいさんにお別れを告げに行きました。


「今から出て行きます。さようなら」と。


おじいさんはビックリした表情で私を見ていましたが、そのままスルーして自転車にまたがり、タイママの車を追っかけながら夜道を自転車で爆走しました。


「頑固じ〇い!!!」と叫びながら・・・(3度目の引っ越し)


タイママの店は小さなタイ食材のスーパーでした。

店奥の一角にベッドをしき、そこで寝泊まりが開始。


シャワーはないので、キャンプサイトにあるシャワー室を毎回借りに自転車で疾走していました。


シャワーを毎日浴びたい私としては、シャワーを外に借りに行くのが苦痛でならなかったです。



20.定住先がやっと安定?!


何度か教会に連れて行ってもらううちに、教会のみんなに私の生活状況が知れ渡っていきました。


今までの3回の引っ越しや、今は店の一角に住まわせてもらっていることなど。


その話をすると、いつもみんなから「大丈夫?ちゃんと生活できている?」と心配されていました。


私は「雨風がしのげるから、なんとかなっている!」と偽ポジティブ発言。


本当はすっごく苦痛で、タイママの愚痴を聞くことも多かったのでとても居心地が悪かったのです。


教会のみんなと話し、遊ぶことが私のストレス発散でした。


今思えばその偽ポジティブもお見通しだったのか・・・ある日突然牧師さんから、「良いシェアハウスを見つけた!」と連絡がありました。


そこはオーストラリア人の家庭で、2部屋余っているため貸し出しているところでした。


牧師さんたちが、「興味があるなら内見行ってみる?」とお誘いしてくださり、「せっかくのご厚意だから行ってみます!」とすぐに内見決定。


オーナーさんはとても気さくなオーストラリアママ(以下:オージーママ)で、とても好印象でした!!


バスタブ付きのシャワーが使用でき、個室を格安で提供してもらえると言うことだったので、即入居を決定!


後日談で、オージーママが入居募集をかけたその日に牧師さんが見つけてくれたということを聞き、その日ばかりは本当に神の力なのか?!?!と驚きを隠せませんでした。



21.安住できると思いきや、引きこもり生活?


オージーママの家へ引っ越してからというもの、自分の部屋・机・ベッド、シャワーもある、なんて贅沢なことなのだ!と実感し、とても充実した毎日を送っていました。


しかし、オージーママ達一家と過ごす日常は、私にとって結構な難関でした。


最初は頑張って話していたのですが、ネイティブ英語でとても早口なママは、私にとってかなりハードルの高いコミュニケーション相手だったのです。


小学生ぐらいのお子さんもいたのですが、その子もめちゃ早口。


苦手意識を持ってしまった私は、いつしか自室に引きこもり、なんとか会わないように生活するようになってしまったのです。


ただ、良くしてもらっている分なんとか良好な関係を築きたいと思い、気付くと顔色をうかがうようになっていました。


すれ違うときのママやお子さんの視線が気になり、部屋の外から聞こえてくる言葉があまりよろしくない単語のとき「もしかして私の事を言っている?」と受け取るようになりました。


いつしか"嫌われているかもしれない・・・"と勝手な妄想を抱くようになってしまったんです。


この妄想により、もっと引きこもるようになり、体調が悪くなっていきました。



22.無理矢理教会に行かせているの?!


ある日、ナースから「体調良くないと聞いたけど大丈夫?」と仕事中1通のメールが届きました。


この時に書かれていた単語が“unwell”。


文章から読み取るに、至って普通に体調を心配している文章でした。


しかし、そのときの私はすでに疑心暗鬼に陥っていたので、悪い方へ脳内シミュレーションが暴走してしまったのです。


“Unwell=良くない“。


もしかしてオージーママがナースに何か言ったんじゃないか?

私やっぱり何か良くない態度をとっていたのではないか?と。

もしそうだったら・・・

私もしかしてこの家にいられなくなる?

また、引っ越ししなきゃいけない?

ネガティブな事ばかり思い浮かんでいました。


そこにいつもの悪い癖、偽ポジティブも発動!

うじうじ考えても仕方がない!

いっそのこと直接確認しよう!

引っ越すことになってもなんとかなる!

と考えたのです。


思い立った私は、すぐさま行動。

仕事の休憩中に翻訳機能をフル稼働させ(ナースではなく)オージーママにメールをしました。


内容は、私の今までの態度を謝罪する文章と、もし私の態度で気分を悪くさせてしまったのであれば退去する旨を記載しました。


メッセージを送信し終わると同時に、休憩時間が終了。

そのまま仕事に戻りました。


このあととんでもないことになる事も知らずに・・・。


仕事中は携帯をロッカーにしまっていたため、返事の確認ができませんでした。

しかし、思考の暴走が止まらない私は、

家に帰るとき気まずいな・・・

なんでメールしちゃったのだろう・・・

と後悔すると同時に、家に帰ってからの脳内シミュレーションを開始していました。


まず何て言われるだろう?

〇〇と言われたら何て英語で返せばいいだろう?


あらゆる想定をし、わからなかった単語を辞書で調べるために紙に書きとめ、準備を整えました。


仕事が終わり携帯を見るとナースから着信の嵐!!ビックリした私はすぐに電話を返しました。


すぐに電話が繋がったと思ったら、電話口から堰を切ったように話すナースの声・・・。

私の仕事中に、ナースとオージーママの間で大変な騒動が起こっていたことを聞かされたのです。


私がオージーママに連絡を取ったあと、内容にビックリしたオージーママはナースに連絡。


ナースが何か変な事を私に吹き込んだと勘違いしたオージーママは、ナースたちの事を良く思わず、「(私を)無理矢理教会に行かせているのではないか?!」とまで言ってしまったようです。


このときようやく、ナースのメールの内容を完全に勘違いして暴走してしまった自分に気付かされました。


私の勘違いから2人を巻き込んでしまい、お互いを傷つけてしまうような発言まで・・・本当に心の底から思考の暴走に後悔し、恥ずかしくて顔から火が出る体験をしてしまいました。


電話口でナースに謝罪し、家に帰った後はオージーママに謝罪。


このことがきっかけでコミュニケーションの大事さと、自分の偏った思考が起こす行動の危険さを知りました。


その後、つたない英語でも恥ずかしがらずにコミュニケーションをとるようになり、悪い方へ考え過ぎてしまう思考を意識して落ち着かせるように努力しました。



23.滞在中に大切なパートナーができ、その後帰国、婚約へ


前回の事件から、コミュニケーションを積極的にとるようになり、オージーママといろんな事を話すようになりました。


あるとき、オージーママから

「仕事と家の往復でつまらなくない?なんの為にオーストラリアに来たの?もっと楽しまなきゃ!」と言われ、核心を突かれた気分でした。


確かに仕事しかしてない。

友達もいない。

英語もそんなに上達していない・・・


楽しんでないかもーーー!(汗)


するとママから田舎では同世代と出会うことが難しいからと言われ、同世代の友人を作るとっておきの方法を教えてもらいました。


ママに言われるがままそれを実行し、そこで知り合ったのが今の旦那さんです。


付き合う前はオージーママにオーストラリアでのいろんなデート作法を教わり無事彼と交際開始。


そのときすでにVISAの期限が1年も残っていないことに気付き、後悔したくない!!と思った私は彼に「同棲しませんか?」と自ら提案していました。


彼は快く受け入れてくれて、すぐに同棲開始。


初めての外国人の彼氏に戸惑いながらも、優しく接してくれる彼と楽しく過ごしていました。


その後VISAの期限が切れ帰国。

同棲していた期間は約10ヶ月ほどでした。


そこまで長くなかったため、帰国してからは"遠距離がうまく続かずお別れしてしまうだろうな"とお互い思っていました。


しかし、遠距離の期間にお互い遊びに行ったり来たりして月日は経ち、お付き合いを開始してから2年目の夏、日本に遊びに来た彼を両親に紹介しその後プロポーズしてもらったのです。


2019年の11月、今度は私がオーストラリアへ行き彼の親族と会食、正式に婚約者として認めていただきました。



24.国境閉鎖、長い遠距離恋愛の幕開け


当初は彼に2020年2月頃に来て欲しいと言われていました。


冬の旅行後、そのままオーストラリアに滞在する選択肢もあったのですが、仕事で新人指導を任されていた私はその責務を全うしたいと彼にお願いし、2020年4月に出発することを約束しました。


その年の3月末にコロナの影響でオーストラリア国境閉鎖。

長い長い遠距離恋愛の幕開けです。


当初は、2020年の年末頃には開くかな~なんて呑気なことを言っていましたが、国境は開きませんでした。



25.話し合いを重ね、遠距離を乗り越える


私たちの場合、コロナ以前から遠距離恋愛だったので、合計3年8ヶ月の遠距離期間を過ごしました。


渡豪予定直前の国境閉鎖だったため、自分の行動力のなさをかなり責めました。


また、彼も「2月に来てもらう事をもう少し強くお願いできていれば、もしかしたら今は一緒になっているかもしれない」と後悔を隠せない様子でした。


渡豪できなくなった直後は、お互いを責めてもしょうがないと思い慰め合っていました。


私は、仕事を辞める直前の渡豪中止だったため、継続して仕事ができることを幸いと思い仕事に没頭していました。


彼はコロナの影響から仕事が休業となり家にいることが長くなっていったのです。


遠距離中、彼との未来予想シミュレーションを繰り返していました。


今後一緒になるにはどうしたら良いのか?

VISAの申請方法、

婚姻関係の結び方、

どちらの国で一緒になる方が早いのか?

コロナ渦で制度は変わったのか?

日本の場合、

オーストラリアの場合、

両方の側面から情報収集し、そのときに自分が行動できることをできるだけ詳細に調べました。


私の特性上、最悪の状況も視野に入れるため、もしこのまま何年も彼と一緒になれなかった場合も想定しました。


その場合の対処法や、

マンネリ化を解消するにはどうしたら良いのか?

彼はどうしたいのか?

私だけの考えでは一緒に乗り越えていけないと思い、自分の正直な気持ちをぶつけ、彼の意見もしっかり受け止めようと努力しました。


正直、この会話を切り出したら返答によっては別れてしまうかもしれないな、と思う状況もありましたが、お互いのコミュニケーションを大切にしてなんとか3年8ヶ月続ける事ができたのです。


遠距離の最中、一緒に住んでいたときよりもずっと彼のことがわかってきたし、考え方や好きな物・嫌いな物もよくわかりました。


また、お互い距離があっても一緒に楽しめるエンターテイメントを見つけて一緒に楽しんだりもしました。


ある程度の距離感を保ちつつも、愛情表現をいつも欠かさず大切にしていました。



26.国境が開くとすぐに渡豪


今までいろんなことをシミュレーションしていたおかげで、国境が開くかもしれない!?という情報が入った時すぐに行動に移す事ができました。


退職の準備や渡豪の準備、書類手続きの準備などなど。


直前までどうなるかわからなかったので、実際に2021年12月15日に国境が開いたことを確認するとすぐに手続きを済ませ、12月21日には日本を出発していました。



27.これからがやっとスタート


翌22日に無事オーストラリアへ到着。


2年以上我慢した、オンラインじゃない本物の彼との再開を全身で感じ、ものすごく嬉しかったのを覚えています。


遠距離になってからの3年8ヶ月間は、一緒に過ごしたとしてもお互いの旅行中各1週間ぐらいだったので、今はずーっと一緒にいられる喜びを感じています。


到着してからも、今までのシミュレーションによる情報収集が役に立ち、結婚、パートナーVISAの申請など観光VISAで滞在できる3ヶ月の間にすべてを無事済ませることができました。


この3ヶ月の間、たまに文化の違いや価値観の違いで喧嘩することもありますが、4年弱の遠距離を乗り越えられたのだから、こんな些細なこと乗り越えられない訳がない!!とお互いいろんな価値観を共有しながら夫婦生活を送っています。


これからはお互いの心地よさを重視して、楽しい夫婦生活を送っていきたいと思っています♪





いかがでしたか?


私が幼少期から母からの愛情をうまく受け取れず、

そのため他人に対してどう愛情を持って接して良いかわからず孤立していたこと


また、孤立することを恐れて顔色をうかがったり

偽のポジティブ思考で自分をごまかしていたり

どん底に落ちるほどの気持ちの落胆の経験したり

危機的状況の経験をしていることを知っていただけたかと思います。


いろんな経験を繰り返す中で

私の中で形成されていった処世術、脳内シミュレーション

それにより職場の上司・同僚とも良好な関係を築き、

プライベートでは4年弱の遠距離恋愛を乗り越え

今では旦那さんと楽しい毎日を送っています。


夫婦関係はまだまだ歩み始めたばかりなので

うまくコミュニケーションをとれないこともありますが、

今、コミュニケーションに自信がない

職場でのコミュニケーションがうまくいかない

パートナーとの仲がうまくいってない

など


コミュニケーションに関してモヤモヤされている方に

私が今まで培ってきた経験で、

あなたにささやかなヒントがお渡しできるかと思います。


不安に陥ってなかなか自分の思考にまで戻ってこれない方

思考停止して行動に移せない方

コミュニケーションに自信のない方

考え過ぎてしまって頭の中が迷路の様になってしまう方

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