自己紹介(長編)2
自己紹介(長編)2へようこそ!!
自己紹介(長編)1はもう読まれましたか?
読まれたというあなた!!
里美ワールドへようこそ!
もう虜ですね(笑)
読まれていないあなた!!
自己紹介(長編)1の続きになるので
そちらを読まれてから、こちらの記事に戻ってきてくださいね♪
それでは前回の続き<目次>9~どうぞ!
<目次>
(1~8は自己紹介1へ)
9.回避行動のためのシミュレーションが始まる
10.ネガティブな自分に蓋をしたことで、知らないうちに体に異常をきたす
11.やっと思いを伝えられるようになり、味覚異常完治
12.楽しかった職場もだんだん変わっていく
13.よし、海外へ行こう
14.私ってこんなにできない子だっけ?
15.適応障害と診断
16.心の休養を求めてタスマニアへ
<本文>
9.回避行動のための脳内シミュレーションが始まる
昔から女性グループでの深い関わりを苦手としていたのに、なぜかほぼ女性である看護師という職業を選んでしまいました。(これは小さい頃、母から「看護師はいい職業だよ!」と言われ育ってきたことからだと思います。母に認めてもらいたかったのだな~。)
病院に就職してからは、さすが女性の多い職場!!
典型的なお局様
その日の感情に左右されまくりの機嫌が変幻自在の先輩
男性看護師や医師の前では声色が変わる魔性の先輩
我が道を行くタイプの先輩などなど
いろんなタイプの先輩方に揉まれ、顔色をうかがい、気を遣う日々に逆戻りの生活をしていました。
しかし、この顔色を伺うスキルはひょんなことから役に立ち始めたんです。
看護師の仕事柄、患者さんをいろんな角度で観察し、今起こりうる最悪の状況を想定して、それを回避する行動をとらなければなりません。
患者さんの顔色をうかがう事はもちろんですが、上司の機嫌が良いとき、悪いときの観察をしていました。
また、誰かがミスや注意を受けている所を観察し、やってはいけないこと、その人の地雷ポイントの情報を収集するようになっていったのです。
その情報を活用して、もし現時点で最悪の状況が起きてしまったら・・・
どのように患者に対応するか?
どのように先輩に説明するか?
どのように助けを呼ぶか?
どのようにアプローチするのがスムーズか?
などいろんな事をシミュレーションしていたのです。
怒られる行動を回避するという幼少期からの行動と、顔色をうかがうといった行為が、看護師の観察や対応スキルと合わさって、脳内シミュレーションというスキルを形成していきました。
シミュレーションのトライアンドエラーを繰り返していくことで
どう先輩に質問すると快く教えてもらえるか?
機嫌の悪い先輩にどう声をかけるか?
がだんだんわかってくるようになり、職場での地雷回避ができるようになっていったんですね。
10.ネガティブな自分に蓋をしたことで、知らないうちに体に異常をきたす
偽のポジティブ思考のおかげで、職場では「悩みなんてなさそう」といわれることも結構ありました。
私にもそれなりに悩みはあるのだけど・・・
この印象のせいでなかなか相談できる友人もおらず、本来顔色をうかがい不安が多いネガティブな私により一層蓋をするようになりました。
そんな中、先輩の期待に応えようと必死に勉強して実践してを繰り返していた時でした。
突然、舌の右半分の味覚を失ってしまったんです。
初めは戸惑いましたが、そのうち治るだろうと思い放置していたんですね。
しかし、何日か経っても一向に味覚が戻ってこないことに不安を感じ
同期にちらっとそれとなく話してみたんです。
すると「それ大丈夫?!何か問題があるんじゃない?!」と。
そこまで深刻に受け止めていなかった私は、急に不安になり先輩に相談。
すぐに上司へ報告し、医師にかかることになりました。
就業時間内に医師にかかることになってしまい、
職場の皆さんに迷惑をかけることになってしまった事でものすごく申し訳ない気持ちになりました。
いろんな検査をしましたが、どれも異常なし。
結局はストレスかもしれないという結論にいたり、
ビタミン剤を服用しながら様子を見ることになりました。
11.やっと思いを伝えられるようになり、味覚異常完治
看護師を始めてから、必死で勉強をし、先輩と仕事帰りによく食事を一緒にさせてもらえるようになりました。
頑張っていることを認めてもらい、理不尽な対応に対する憤りなども良く理解してもらえました。
先輩と楽しく会話したり、相談を聞いてもらえるようになると
いつの間にか味覚障害は治っていました!
12.楽しかった職場もだんだん変わっていく
楽しかった先輩との食事や旅行、プライベートで楽しかったのはあっという間に過ぎていきました。
1年、また1年と経過していくうちに後輩が増えていき、責任のある役職について行くにつれて先輩方がぞくぞくと退職。
指導者という立場になったことで、いままで気づかなかった上司や医師との関わりに違和感を覚え始め、楽しい職場はいつの間にかなくなっていました。
13.よし、海外へ行こう
自分の看護師としてのスキルを向上させるために情報収集をしていたところ、海外で活躍されている看護師さんのサイトに目がとまりました。
海外では、どんどん自己責任で自分のスキルを向上させることができることや、医師と対等に堂々と仕事をしている姿が書かれていました。
このサイトは私にとってこれ以上ないキラキラした世界!私が今モヤモヤしているものを払拭してくれる最高の環境だと思ったんです。
このとき海外で看護師になる事を決意。
上司を説得し、お金を貯め、英語教室へ通い、看護師7年目の春、オーストラリアへ行きました。
14.私ってこんなにできない子だっけ?
海外に行ってからは、ドタバタの毎日でした。一人暮らしもしたことがなく、学業に家事にてんやわんやです。
同日オーストラリア到着の同期がいたのですが、その中には英語が堪能な方が多くいました。
私からみればかなりスマートに海外生活に順応している様に感じ、人生で初めて強い劣等感を感じたのです。
渡豪前にあれだけ勉強した英語も現地ではほとんど意味をなさず、見よう見まねで買い物をし、自炊もうまくできない。
自分より勉強できる子はたくさんいる。
私って何でこんなにできないのだろう・・・。
いつの間にか劣等感の塊となり、海外で看護師になる事を夢見ていた頃の私はどこかに消え失せていました。
15.適応障害と診断
劣等感を抱きつつも、なんとかして生活していましたが、顔色を伺う自分は相変わらず。
人見知りも相まってこの気持ちを吐き出すことのできる友人はいませんでした。
そんな中、ある時を境に急に涙が出てきたり、急にイライラしたりと自分の感情のコントロールがきかないことに気づきました。
誰も相談できる相手がいなかった私は、日本語の情報誌にあった心理カウンセラーの方の記事を読み、この人なら話せるかも・・・と予約を取っていました。
その方のカウンセリングを受けるにあたり、現地のクリニックを受診しなければいけませんでした。
すぐに医師との問診が始まり、告げられた病名は適応障害。
他人と自分の比較や、自分が理想としていた未来と現実とのギャップに押しつぶされていた状態でした。
16.心の休養を求めてタスマニアへ
もともと田舎出身、田舎暮らしが長かった私は、シドニーという都会で過ごすことにさえ敏感に反応してしまい、心の休息が得られない状態でした。
このままでは、学校卒業後の就業も難しいし、私の当初の目的を果たすことはできないと感じ、オーストラリア南方の島タスマニアへ向かいました。
タスマニアへは同じくそこへ行きたいと行っていた同期とともに向かい、一緒に生活することとなったんですね。
同じ看護師同士、また年も近く面倒見も良く、私にとってはお姉さんの様な存在の人でした。
彼女はとても気さくな性格で、ややお茶目なところもあるため、気負うことなく自分の気持ちをさらけ出すことができたんです。
タスマニアでの生活では山あり谷あり。
仕事が見つからず貧乏生活、同じ宿泊施設に住む外国人の奇想天外な行動に頭を悩まされ、日本人だとなめられた経験もありました。
なめられてばかりではいかん!!と奮起し、海外の方にも片言の英語で自己主張するようになっていきました。
この経験からかなりタフに物事を捉えられるようになり、はっきりと自己主張する度胸がついていったんですね。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
さて、次はラスト!!自己紹介(長編)3です。
楽しみにお待ちくださいね♪
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