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みなさんこんにちは!

未来書き換え自分年表作成講座

幸せ迷子さんのためのファシリテーター

伊佐治(ウエスト)里美です。



先日、オーストラリアで初めて

健康診断を受けてきました!




パートナービザを申請すると、

その後健康診断を受けるよう通知が来るんですね。




以前、病院勤務の時は

毎年健康診断を受けていて

大きな問題はあまりなかったので

今回も大丈夫でしょ~

と高をくくってました・・・




が!!

ショックを受ける検査結果が

出てしまったんです。




「尿検査に問題あり」




ガーーーーン・・・




結果は血尿です。




肉眼的には問題ないのですが、

試験紙で引っかかってしまいました。




"何の問題もなく終わるでしょ♪"

ぐらいに思って健診に来ていたので

結構ショックだったんですね。




その後、医師より紹介状をもらい

ビザに関してはおそらく再検査を

提示されるかもしれないと言われ

病院を後にしました。




この結果を受け、

落ち込んでいる私がまず始めにとった行動は




旦那さんへ『結果と

自分の正直な気持ちを話すこと』です。




落ち込んでいるときと言うのは、

「落ち込んでいる自分」を受容する事が

大切だと言われたりましす。




人に話すことによって

自分が落ち込んでいることを言語化し、

その感情を感じている自分を

肯定してあげるんですね。




気持ちを肯定してあげることで

自分の気持ちに正直に向き合うことが

できるようになります。




これ、誰か他者に話さなければいけないか?というと

自分でもできちゃうんです。




自分で自分に話しかけて

頭の中で会話する事でもOKです。




セルフトークと言われるものですね。




セルフトークができれば、

話すことができない環境や

一人でいるときでも

頭の中を整理する事ができたりしますよ!




私の場合、旦那さんから「大丈夫?

そんなに重い病気じゃないと良いけど・・・」

と気遣いの言葉をもらいました。




ただ、自分の中でなんかちょっと

違和感があったんです。




病気に対して心配する

旦那さんの言葉を聞いて、

「ん?何か違う・・・」

私、病気に対して不安なのかな?と




彼と話していくうちに

私の落ち込んでいる原因が分かりました。




"思い通りスムーズに検査が終了しなかったこと"


"ビザに関して不安材料ができてしまったこと"

でした。




看護師だったというのもあるかもしれませんが、

おそらくストレスで

膀胱炎か尿路感染あたりかな~なんて考え




病気に関して不安というよりも

今後のビザに関して

不安材料を残してしまったことの方が

ショックだったんですね。




ビザに関しては全くの素人で

たくさんの手続きや書類仕事を

慣れない英語でこなさなければいけません。




今私にできることは

提示された物を1つ1つこなしていくことです。




1つ、また1つとこなしていった事のなかで

つまづいてしまうと

今後の作業にも影響が出ます。




結局のところ、この先の手続きが増えたり、

面倒事が増える方が嫌だったんです(笑)




この書類仕事や検査が増えること自体は

結果を見てお役所が判断することなので

私にはどうすることもできません。




とりあえず今回は膀胱炎の症状を

しっかりと観察して

次回の検査までに

万全の体調で臨めるようにすることが

今の私にできることだね

という話しで落ち着きました。




こうやって

"自分の落ち込んでいる理由"を知ることで

その人に合った対処方法がみえてきたり

するんですよ。




話していく事で

頭の中が整理され

その感情を感じた理由を探り

対処方法を考えたり

その感情を癒やしたりする事ができます。




もし、この感情に蓋をして

"落ち込んでちゃダメだ!"

とすぐに気持ちを切り替えた場合、




人によっては

その感情の原因を有耶無耶にしたまま

また同じ事が繰り返される

といった事が起きてしまうこともあります。




とは言え、自分の感情が不安定な時は

頭の中で一人で会話しても

答えが出なかったりしますよね。




そんな時は、

人に話すのが一番です。




モヤモヤをそのままにせず

自分の感情に向き合う習慣ができて

頭の中がスッキリ整理されたりしますよ♪




・自分の感情に蓋をしてきた

・モヤモヤする

と感じている方。




今期間限定で無料セッションを行っています。

私とのセッションが初めてかつ

4月18日までにお申し込みの方限定です。




ご興味のある方は

下記フォームからご連絡くださいね。


お気軽にラインからお問い合わせいただいても

大丈夫ですよ♪

みなさんこんばんは。

未来書き換え自分年表作成講座

幸せ迷子さんのためのファシリテーター

伊佐治(ウエスト)里美です。




最近クライアントさんから

夫婦関係に関する質問をいただきました。




>子どもには素直に「ありがとう」って言えるのに

 旦那には言えないんです。




旦那さんがちょっとだけ家事を手伝ってくれたときに

"やってくれて当たり前、私は毎日やってるんだから!"

と言う気持ちが強く出てしまい、

「ありがとう」の言葉が言えない。

子どもがお片付けを手伝ってくれるときは

すぐに「ありがとう」って言えるのに・・・。




みなさんにもご経験ありますか?

旦那さんに対する

ちょっと怒れちゃうこの感情。



でもこの言葉よく見てみてください。



「旦那には言えないんです」



もし最初から旦那さんに言う必要が

ないと思っていたら

この言い方にはならないかもしれません。




「なんでちょっと手伝ってもらったぐらいで

ありがとうなんて言わなきゃいけないんですか?」

と言った言い分になるかもしれませんね(苦笑)




実はこの言葉

無意識に"言いたい"、

もしくは"言った方が良いと思っている"

と言う気持ちの裏返しでもあります。




人の言葉というのは、その人の考えや

無意識の感情が乗っていることが

多いんですよね。

(この無意識の感情は

自分では気付きにくかったりします。)





以前の私も実は、感謝の気持ちを

伝える事が苦手でした。




私もこのクライアントさんと同様

"やってもらうのは当たり前"といった感覚を

持っていたんですね。




ではこの感覚をどうやって変化させていったのか?




それは認知科学を学び

脳の仕組みを知った事で変化させることが

できたんです。




その脳の仕組みとは?




"無意識"を"意識"にあげることです。




無意識にもっていた感覚に気付き、

自分はこんな感覚を持っていたんだな!

と意識することで変化していきます。




例えば私の場合、

この"やってもらうのは当たり前"と思っている感覚を

意識に挙げてみました。




すると、旦那さんがいつも私に「ありがとう」と

伝えてくれていることに気がついたんですね。




「ありがとう」と感謝されている事も

"当たり前"と思ってしまい、

あまり気にもとめていなかったんです。




これに気がついたことで、

1つ疑問が浮かびました。




私は、日常的に行っていることに対して

「ありがとう」をもらっているけれど

彼にはちゃんとお返しできているだろうか?




それからは、私も旦那さんに対して

感謝のお返しをしようと

意識して「ありがとう」を伝えるように

しました。




意識して伝えるようになると

自分の中で少しずつ変化している事に

気がついたんですね。




感謝の気持ちを受け取るときも

自分から伝えるときも

"嬉しい"といった気持ちになっていることが

わかりました!




それからと言うもの

私も率先して「ありがとう」を

伝えるようになり、

今では意識しなくても

伝えられるまでに変化できたんです!




感謝の言葉がお互い言えるようになると

お願い事をしやすくなるといった

特典もついてきちゃいます♡




①無意識の自分に"気がつく"


②"無意識"だった事が"意識"に上がる


③"意識"に上がることで

自分から変化を起こす行動をとれる



といった感じです。




ただ、長年自分の中で形成されてきた価値観や

無意識に気がつく事って

少し難しかったりするんですね。




その価値観や無意識をセッションのなかで

お伝えすることもしていますよ♪




自分に素直になりたい

でもなかなか素直になれない

とお困りの方も




個別で無料セッションさせていただけます。




自分に素直になれない事も

幸せ迷子さんの特徴の1つでもありますからね。




もし、ご興味のある方はこちらから

ご相談ください♪



まずは気軽にお話ししてみたい方はこちら♪


みなさんこんにちは。

未来書き換え自分年表作成講座、

幸せ迷子さんのためのファシリテーター

伊佐治 (ウエスト) 里美です。

↑ミドルネームみたいですが、現在名字変更中です(笑)



先週募集をかけた無料セッションのお問い合わせですが、

「実際どんなことをするの?」

と御質問をいただきました。

ありがとうございます!



今日はその御質問にお答えする形で

書いていきたいと思います♪



セッションの事が気になっていたけど、

いまいち何をするのか分からなくて

申し込むの不安・・・と言う方への

回答になっていれば幸いです。





今回のセッションで行うことは簡単に言うと

「あなたのやりたいことを引き出す作業」です。



ん・・・?なにそれ?

って思いました?笑




まずはなぜこの「あなたのやりたいことを引き出す」

セッションを行いたいと考えたのか

経緯をお伝えしますね。




以前までの私は、

この「やりたいこと」自体がよくわかっていない状態でした。


・自分のやりたいことも分かない


・どうすれば自分が満たされるのか?充実感を得られるのか?

リラックスできるのか?さえ分からない


という

自分を満たして幸せにする方法もわからない

まさに"幸せ迷子"の状態だったのです。




この状態、今までやりたいことを我慢していたり

やらなければいけないことに追われ、

心に余裕がなくなったりすると

陥りやすいといわれています。





私の場合、幼少期より聞き分けの良い

要領の良い子でいる事が大切だと感じていました。



・親に言われたから

人前に出ることが苦手でも学級委員長に立候補する


・親に心配をかけないために

友達に無視されても、親には相談しない


・親に心配をかけないために

怪我をしても黙っておく

(怪我を放置して、数日出血が止まらなかったこともあります。

今考えると何やってるんだ、って感じですよね汗)


など、本当は助けて欲しい場面でも

助けを求める事が我が儘だと感じ

自分の感情に蓋をしていました。




また、看護師として働いていた頃は


・看護師なんだから自粛するのは当たり前


・職場に迷惑がかかるからコロナに感染する

可能性のある行動はとってはいけない


・感染が怖くても、仕事だからコロナ患者さんの対応をしなければいけない


など

〇〇しなけいればいけない、

自分はこうあるべきという制約にがんじがらめになり

心が疲弊していきました。



それでも働かなければいけないと

「辛いと思ってもみんな一緒だ!!」と自分にむち打って

自分の感情を押し殺していました。

(完璧主義だったりすると特に負担に感じてしまいやすかったりします)




このような自分の感情を抑制する状態が続き、

本当にやりたいこと、自分の心からの欲求に

気づきづらくなっていったんですね。




しかし、この「やりたいことを引き出す」セッションを

受けていくうちに、自分の感情を言語化し

本当にやりたいことに気づけていけるようになったんです。



今まで「自分のやりたい事って何?」

なんて言っていた私が


「コレもやりたい!」


「アレもやりたい!」

など



やりたいことがじゃんじゃん浮かんできて、

それが実現されると思うと

未来の自分が楽しみで

ニヤニヤしてしまっていたんです(笑)



自分が満たされる欲求見つけた!

やりたい!と心から思えたんですね。



この心から「やりたい!」と思えたときの行動は

実現スピードも格段に増しますよ!




セッションではあなたのやりたいことを見つけ、

その実現に向けてどう行動するか?!

の所までお話しするので

あなたも未来の自分が

楽しみでしかたなくなると思いますよ!

内容的にはかなり有料級です♪





幼少期からの価値観や

何年も続くコロナ自粛、

仕事の人間関係、

子育て

などなど



人それぞれたくさんの我慢を重ねて

感情に蓋をされている方が多いのではないかと感じています。



そろそろ蓋をしたあなたの感情を解放してみませんか?



あなたのやりたい!を見つけて

今年こそ変化の年にしましょう!!




無料セッションが気になる方は

こちらからお問い合わせください♪


私とのセッションが初めての方かつ

4月18日までにお申し込みの方に限り

無料でセッションさせていただきます。


もう少し詳細を知りたいと言う方は

上記お問い合わせ、もしくは下記のLINEから

お気軽にお問い合わせくださいね。


みなさんいかがお過ごしですか?



日本は桜も咲き始め、暖かくなってきた頃かと

思います。



今の時期、お子さんがいらっしゃる方は
卒業シーズンですね!

私の知り合いでも、最近卒業式のお写真を

拝見する機会が増え

みんなどんどん成長しているな~と

感慨深くなります。



そして来月からは入学のシーズン!

お子さんの入学式や新社会人、

職場でも新たなスタートを切られる方が

多くいらっしゃるのではないかなと思います。



桜も咲いてきて、来月からは4月・・・

春ってなんだか新しい事が始まる気がして

ドキドキ、ワクワクしますよね♪



新社会人の初々しい姿を見ていると、

なんだか自分も新しい事にチャレンジしたいと

思っていた時期があったな~なんて

思い出されます。



2022年が始まってもうすでに

3ヶ月が経とうとしていますが、

皆さんは今年何か新しい事に挑戦しましたか?

目標の達成に向けて何か動き出していますか?



私はと言いますと、去年の年末

遠距離期間3年8ヶ月の彼のいる

オーストラリアに渡豪し、

2022年の2月末結婚いたしました!



そして、VISAの関係でストップしていた仕事を

3月末から本格的に開始!!



たくさんの新たなチャレンジをしています。




こんな生活や環境がガラッと変化している

私ですが、


以前までは

・私の人生ってこのまま終わって

いくのかな・・・

・何か楽しいことないかな?

・今のままで私は幸せだろうか?

・このまま死んでも後悔しないか?

なんてことを考えていました。




これからの人生を後悔のない、

幸せな人生にしたいと思い

いろんな本を読みあさったり

いろんな人の講義に参加してみたり

占いやタロットを勉強してみたり・・・



何か変化を起こしたいと思って

たくさんの事に手を出してきたのですが、

実際今まで継続してできていたことや

劇的に変化できた!好転できた!!

と思えるものに出会うことが

できていなかったんですね。



そんな足踏みしている中でコロナになり、

オーストラリアの国境閉鎖。

当初予定していた彼との結婚は延期。

仕事ではコロナの患者さん対応でヘトヘト。

精神的にも、身体的にも辛い時期を

過ごしました。



いつ国境が開くかもわからない。

いつ彼と再会できるかもわからない。

いつ結婚できるかもわからない。

感染予防のために友人と会うこともできない。

気分転換の外出もままならない。




がんじがらめで追い詰められていた私が

なぜここまでの期間、彼との遠距離を継続させ

仕事でのモチベーションを保ち、

現在の変化を起こすまでに成長できたのか?




それは認知科学との出会いにあります。




コロナ禍以前より学んでいた

"脳の仕組み"の勉強をしていた事で


・陥りやすい不安の対処方法

・遠距離でも良好な関係を築く方法

・職場での良好なコミュニケーションの方法

・現状を最大限に楽しむ方法

・自分を幸せにする方法

・目標設定の方法

などなど




認知科学の知識を基本として、

たくさんの事に応用・活用してきたことで

今までの苦難を乗り越え、変化すること

挑戦することができたんですね。




最近ではコロナをきっかけに

「自分の幸せって何だろう?」

「このままでいいのかな?」

と自分を見つめ直している方が

多くいらっしゃるように感じています。




自分を見つめ直す中で、変化を求め
私へお問い合わせを下さる方が増えています。



もう既に私とのセッションを開始されている

クライアントさんの中には

自分の人生を振り返ってみて

変化を起こそうと動き出された方もみえますよ!




春、桜の季節、4月。

今は新たな事にスタートする時期としては

とっても良い時期なのではないかな?と

感じています。




☆自分の人生これでいいのかな?

☆自分にとっての幸せって何だろう?

☆今年こそ、私も変化したい!

何かに挑戦したい!と思われている方




今回のブログで少しでもピンと来た方は

まず一歩踏み出してみませんか?




今ならそんな一歩を踏み出そうとしている方で

私とのセッションが初めての方かつ

4月18日までにお申し込みの方限定で

無料セッションを行っています。




下記からお申し込みくださいね♪



もっと詳しく知りたい!と言う方は

Contactのお問い合わせ、もしくはLINEからご連絡くださいね。

自己紹介最終話!?第3弾までお越しくださいまして

誠にありがとうございます!



自己紹介1、自己紹介2はご覧いただきましたか?

まだお読みでいない方は、まずそちらからたどっていただくと

私の経歴が詳しく!?書かれていますので

そちらからまずお楽しみください♪



第1弾、第2弾ともうすでにお読みいただいて、

第3弾にみえた方!もうコレで私の経歴丸裸です(笑)



適応障害になってからここまで

どんな経歴をたどってきたか、最終話お楽しみくださいね☆




<目次>

17.看護助手生活の開始と同時にギックリ腰!

18.神の声?!やっと私も報われる?

19.一難去ってまた一難

20.定住先がやっと安定?!

21.安住できると思いきや、引きこもり生活?

22.無理矢理教会に行かせているの?!

23.滞在中に大切なパートナーができ、その後帰国、婚約へ

24.国境閉鎖、長い遠距離恋愛の幕開け

25.話し合いを重ね、遠距離を乗り越える

26.国境が開くとすぐに渡豪

27.これからがやっとスタート




<本文>


17.看護助手生活の開始と同時にギックリ腰となり再度孤立


タスマニア生活を終え、シドニーへ帰ると私はすぐさま田舎での仕事斡旋を希望しました。

シドニーでの生活によって、過去の記憶がフラッシュバックされることを恐れたからです。


職場はシドニーよりも4時間弱北方の田舎町ハンターバレー。

同期はおらず、周りには日本人の知り合いがいないシェアハウスで新たな生活が始まりました。


契約した職場の上司はとても良い方で、すぐに派遣として働き始めた3日目の朝。

急に腰に激痛が走り、動けなくなってしまったのです。


ベッドから起き上がることもままならず、すぐさま会社へ連絡し、休む事を伝えました。


困った・・・。


ベッドから起き上がれない。

病院へ行くにも誰も頼れる人がいない。

キッチンにもトイレにも行けない。

これから私どうなっちゃうの?!?!


昼頃までベッド上で過ごした私は、ついにトイレに行きたくなってしました。

起き上がれません。


ここで漏らすわけにも行かないので、痛い腰にむち打ってトイレまでの3mの距離を10分かけてやっとたどりつきました。


トイレに座ることも難しく、やっとの思いで用を足すことができたら涙が止まらなくなってしまったんです。


このままどうしたら良いのだろう・・・。

誰にも頼れない。

誰も知らない。

友達もいない。

お金も稼がなきゃ生きていけない。

この腰ではどこにも行けない。

不安の波が押し寄せもうポジティブなことを考える余裕もなく、悪いことばかり考えてしまいます。


また、トイレから立ち上がることもままならず、このまま治らなかったらどうしよう・・・私ここで野垂れ死ぬの?!とまで考えていました。


このままここに居続けたら、他の同居人に迷惑がかかると思い、なんとかしてトイレから脱出。

たった往復6mの距離に疲れ果てた私は、ベッドに横たわり考えを巡らせます。


このままの状況が続いてしまったら・・・どうやって生きていこうか・・・

ここから私の脳内シミュレーションが始まります。


あらゆる状況を想定し、ベッドから起き上がる方法、病院、腰痛改善ストレッチ、救急車の呼び方、食材デリバリーサービスなどなど、今自分に必要な情報を思いついた物からすべて調べました。


最悪の状況を想定し、今後収入がなくなった場合の生活費、帰りの電車、バス、空港チケットに至るまで計算して、もしこのまま治らなかったときの事まで考えていたのです。


1人で生きていくためには、これから起こりうることをいろんな角度から考え、それに対する対処を学ばなければ生きていけない!と感じ気づいたらネットに釘付けになっていました。


その後は、とりあえず調べた内容を実行するのみ!

マットレスの交換をオーナーに掛け合い、

オンラインショッピングでデリバリーの利用、

心配してくれた同居人に松葉杖を貸していただきなんとか移動手段確保、

奇跡的に家の隣がスポーツ鍼灸のため翌日駆け込み、

あとは絶対安静。


今できうる対処を実行していきました。


何回か鍼灸に通い、コレで良くなるかな・・・と思ったものの改善せず。

お先真っ暗・・・の状態が約2週間続きました。


その間にもどうしたら生き延びられるかばかり考え、藁にもすがる思いで同居人に泣きついて徒歩5分の距離にあるクリニックまで車で連れて行ってもらったのです。


到着後同居人に連れてきてもらったことにお礼を言い、クリニックの待合室で1人、順番を待っていました。


椅子に座ることもままならず松葉杖を支えに「コレで治らなかったらどうしよう・・・」と今にも泣きそうな表情だったことを覚えています。


やっと自分の順番が来て、そこでも椅子には座れず医師に病状と今までの経過を説明しました。


鍼灸の話しをすると、その医師も鍼灸の資格を持っているとのことで、患部に針を1本刺してもらうことに・・・


そんなんで治るのかな・・・

鍼灸で治らなかったのに・・・


と不安になっていたのも一瞬!!


針1本で改善!!


恐る恐る動いてみると、いつもの痛みもしびれもなし!!


信じられないという感情、驚き、治ったうれしさで感情がぐちゃぐちゃになり気付いたら医師の前でワンワン泣いていました。


その後医師と固い握手を交わし、松葉杖なし、徒歩で帰れる幸せをかみしめ家路に着きました。


いままで助けてくれた人たちに心から感謝をし、仕事を再開するまでに回復したのです。



18.神の声?!やっと私も報われる?


腰痛が治り、あとは仕事に励むだけ!と無心で働いていた頃。

仕事先でちょくちょく顔を合わせていたインド人の看護師さん(以下:ナース)が急に「大丈夫?元気?」と声をかけてくれました。


たわいもない会話をした後、「日曜日にミサがあるから、興味があるなら一緒に行かない?」とお誘いを受けたのです。


今まで、友達もおらず、休日おでかけする用事も特になかったため、お誘いが嬉しくて2つ返事でOK!


ドキドキワクワクの日曜日を迎えました。


ナース家族がシェアハウスまで迎えに来てくれて、車で40分ほどの教会まで向かったのです。


着いてみたらビックリ!牧師さん?も来ている方達もみんなインドの方でした。

可愛らしい子ども達も数名いて、私に気を遣って英語で話しかけてくれたのです。


一気に十数名のコミュニティーに入った私は戸惑いを隠せませんでしたが、オロオロしているうちにミサが始まりました。


ミサ中も私を気遣ってくださり、英語で話していただけました。

するとおもむろに私に話が飛んできたのです。


「何か困っている?」


今までの体調不良や1人での生活の不安など心身ともに疲れていた私は、その一言で蓋をされていた感情が一気にあふれ出し涙が止まらなくなってしまいました。


牧師さんがいろんな言葉をかけてくださっていたのですが、全く耳に入ってこなくなってしまいました。


気づいたら泣き崩れ、いろんな人たちに囲まれ抱きしめてもらっていたのです。


ミサの後、私に声をかけてくれたナースが、勤務中に私に話しかけてくれた経緯を話してくれました。


「見かけるたびに気になってはいたのだけど、あの日はどうしてもミサに誘わなきゃいけないと思ったの」と。


このときばかりは、クリスチャンじゃない私も、神様の存在って凄いな、不思議なご縁だなと感じました。



19.一難去ってまた一難


ぎっくり腰の後順調に生活できていたと思っていたのも束の間、最近入居してきた同居人にこのシェアハウスが閉鎖されることを知らされました。


他のシェアメイトに聞いても、同じ事を言われたのでこの情報は間違いない。

どうしよう。


田舎町ではシェアハウス自体が珍しく、ここしかないと言われて職場に斡旋してもらったのに・・・。

どうしよーーーー!


どうもこうも家がなきゃホームレスだ。

ホームレスで職場に通うわけにはいかない・・・。


すると、その情報を教えてくれたシェアメイトが家を貸してくれる人を知っているから一緒に来る?と誘ってくれたのです!!


なんていい人なのだ!


このタイミングを逃すと、いつ引っ越しできるか、追い出されるかも分からない!

そう思った私はその話に飛びつき、シェアメイトとともに新しい家へと行きました(1度目の引っ越し)。


ブドウ狩りの仕事を斡旋しているタイ人のママでした。


最初は"娘ができたかのように思っている"と言い優しくしてくれていたのですが、数日経たないうちに「もっとブドウ狩りの人員を集めたいから他の家に移れ」といわれ2度目の引っ越し。


オーストラリア人のおじいさんの家でした。


ちょっと強面のおじいさんでしたが、話してみると意外にお茶目な部分があり、いい人やん!

やっとここで楽しく定住できる!と最初は思ったのです。


最初は・・・ね。


住み始めて約1ヶ月の時、そのおじいさんが突然「家賃払っていないから来週出て行け」と私に言ってきたのです。


え・・・?私、支払ってますけど?先週(週払い)も払いましたよ?


そう言われたのが突然で、仕事に行く直前だったので、出勤後ずっとおじいさんの説得方法を考えていました。


仕事もままならず、良い説得方法もみつからないまま帰宅。

領収書などの証拠がなかったため、とりあえず自分の家計簿を見せながらおじいさんの説得を試みました。


しかし「払ってない、出て行け」と一点張り。


・・・ガ・ン・コ・・・(怒)


またも定住先を失おうとしている危機が訪れてしまったのです・・・。


信じてもらえなかった怒り、悔しさ、悲しさから涙が止まりませんでした。

このとき、悲しさよりも、怒りの方が強かったのを覚えています。


これ以上おじいさんと一緒にいるのは嫌!!と思った私は、すぐさまタイママに電話をしました。


「これ以上自分を信じてもらえない人とは一緒に住めない。来週と言われたけど私は今すぐにでも出て行きたい」


泣きながら伝えると、タイママが迎えに来てくれました。


電話したときはすでに外は真っ暗。

夜逃げ同然に、荷物をすべてタイママの車に乗せ、とりあえずタイママの店へ向かうことになりました。


一緒に車に乗るのかと思いきや、ママが私の唯一の移動手段である自転車が車には乗らないと言ってきたのです。


自転車がないと出勤できない、けど自転車を取りに行くにはおじいさんの横を通らないといけない。

これ以上顔も見たくないのに・・・。


しかし、このときまだ怒りが勝っていた私は、何を思ったのかおじいさんにお別れを告げに行きました。


「今から出て行きます。さようなら」と。


おじいさんはビックリした表情で私を見ていましたが、そのままスルーして自転車にまたがり、タイママの車を追っかけながら夜道を自転車で爆走しました。


「頑固じ〇い!!!」と叫びながら・・・(3度目の引っ越し)


タイママの店は小さなタイ食材のスーパーでした。

店奥の一角にベッドをしき、そこで寝泊まりが開始。


シャワーはないので、キャンプサイトにあるシャワー室を毎回借りに自転車で疾走していました。


シャワーを毎日浴びたい私としては、シャワーを外に借りに行くのが苦痛でならなかったです。



20.定住先がやっと安定?!


何度か教会に連れて行ってもらううちに、教会のみんなに私の生活状況が知れ渡っていきました。


今までの3回の引っ越しや、今は店の一角に住まわせてもらっていることなど。


その話をすると、いつもみんなから「大丈夫?ちゃんと生活できている?」と心配されていました。


私は「雨風がしのげるから、なんとかなっている!」と偽ポジティブ発言。


本当はすっごく苦痛で、タイママの愚痴を聞くことも多かったのでとても居心地が悪かったのです。


教会のみんなと話し、遊ぶことが私のストレス発散でした。


今思えばその偽ポジティブもお見通しだったのか・・・ある日突然牧師さんから、「良いシェアハウスを見つけた!」と連絡がありました。


そこはオーストラリア人の家庭で、2部屋余っているため貸し出しているところでした。


牧師さんたちが、「興味があるなら内見行ってみる?」とお誘いしてくださり、「せっかくのご厚意だから行ってみます!」とすぐに内見決定。


オーナーさんはとても気さくなオーストラリアママ(以下:オージーママ)で、とても好印象でした!!


バスタブ付きのシャワーが使用でき、個室を格安で提供してもらえると言うことだったので、即入居を決定!


後日談で、オージーママが入居募集をかけたその日に牧師さんが見つけてくれたということを聞き、その日ばかりは本当に神の力なのか?!?!と驚きを隠せませんでした。



21.安住できると思いきや、引きこもり生活?


オージーママの家へ引っ越してからというもの、自分の部屋・机・ベッド、シャワーもある、なんて贅沢なことなのだ!と実感し、とても充実した毎日を送っていました。


しかし、オージーママ達一家と過ごす日常は、私にとって結構な難関でした。


最初は頑張って話していたのですが、ネイティブ英語でとても早口なママは、私にとってかなりハードルの高いコミュニケーション相手だったのです。


小学生ぐらいのお子さんもいたのですが、その子もめちゃ早口。


苦手意識を持ってしまった私は、いつしか自室に引きこもり、なんとか会わないように生活するようになってしまったのです。


ただ、良くしてもらっている分なんとか良好な関係を築きたいと思い、気付くと顔色をうかがうようになっていました。


すれ違うときのママやお子さんの視線が気になり、部屋の外から聞こえてくる言葉があまりよろしくない単語のとき「もしかして私の事を言っている?」と受け取るようになりました。


いつしか"嫌われているかもしれない・・・"と勝手な妄想を抱くようになってしまったんです。


この妄想により、もっと引きこもるようになり、体調が悪くなっていきました。



22.無理矢理教会に行かせているの?!


ある日、ナースから「体調良くないと聞いたけど大丈夫?」と仕事中1通のメールが届きました。


この時に書かれていた単語が“unwell”。


文章から読み取るに、至って普通に体調を心配している文章でした。


しかし、そのときの私はすでに疑心暗鬼に陥っていたので、悪い方へ脳内シミュレーションが暴走してしまったのです。


“Unwell=良くない“。


もしかしてオージーママがナースに何か言ったんじゃないか?

私やっぱり何か良くない態度をとっていたのではないか?と。

もしそうだったら・・・

私もしかしてこの家にいられなくなる?

また、引っ越ししなきゃいけない?

ネガティブな事ばかり思い浮かんでいました。


そこにいつもの悪い癖、偽ポジティブも発動!

うじうじ考えても仕方がない!

いっそのこと直接確認しよう!

引っ越すことになってもなんとかなる!

と考えたのです。


思い立った私は、すぐさま行動。

仕事の休憩中に翻訳機能をフル稼働させ(ナースではなく)オージーママにメールをしました。


内容は、私の今までの態度を謝罪する文章と、もし私の態度で気分を悪くさせてしまったのであれば退去する旨を記載しました。


メッセージを送信し終わると同時に、休憩時間が終了。

そのまま仕事に戻りました。


このあととんでもないことになる事も知らずに・・・。


仕事中は携帯をロッカーにしまっていたため、返事の確認ができませんでした。

しかし、思考の暴走が止まらない私は、

家に帰るとき気まずいな・・・

なんでメールしちゃったのだろう・・・

と後悔すると同時に、家に帰ってからの脳内シミュレーションを開始していました。


まず何て言われるだろう?

〇〇と言われたら何て英語で返せばいいだろう?


あらゆる想定をし、わからなかった単語を辞書で調べるために紙に書きとめ、準備を整えました。


仕事が終わり携帯を見るとナースから着信の嵐!!ビックリした私はすぐに電話を返しました。


すぐに電話が繋がったと思ったら、電話口から堰を切ったように話すナースの声・・・。

私の仕事中に、ナースとオージーママの間で大変な騒動が起こっていたことを聞かされたのです。


私がオージーママに連絡を取ったあと、内容にビックリしたオージーママはナースに連絡。


ナースが何か変な事を私に吹き込んだと勘違いしたオージーママは、ナースたちの事を良く思わず、「(私を)無理矢理教会に行かせているのではないか?!」とまで言ってしまったようです。


このときようやく、ナースのメールの内容を完全に勘違いして暴走してしまった自分に気付かされました。


私の勘違いから2人を巻き込んでしまい、お互いを傷つけてしまうような発言まで・・・本当に心の底から思考の暴走に後悔し、恥ずかしくて顔から火が出る体験をしてしまいました。


電話口でナースに謝罪し、家に帰った後はオージーママに謝罪。


このことがきっかけでコミュニケーションの大事さと、自分の偏った思考が起こす行動の危険さを知りました。


その後、つたない英語でも恥ずかしがらずにコミュニケーションをとるようになり、悪い方へ考え過ぎてしまう思考を意識して落ち着かせるように努力しました。



23.滞在中に大切なパートナーができ、その後帰国、婚約へ


前回の事件から、コミュニケーションを積極的にとるようになり、オージーママといろんな事を話すようになりました。


あるとき、オージーママから

「仕事と家の往復でつまらなくない?なんの為にオーストラリアに来たの?もっと楽しまなきゃ!」と言われ、核心を突かれた気分でした。


確かに仕事しかしてない。

友達もいない。

英語もそんなに上達していない・・・


楽しんでないかもーーー!(汗)


するとママから田舎では同世代と出会うことが難しいからと言われ、同世代の友人を作るとっておきの方法を教えてもらいました。


ママに言われるがままそれを実行し、そこで知り合ったのが今の旦那さんです。


付き合う前はオージーママにオーストラリアでのいろんなデート作法を教わり無事彼と交際開始。


そのときすでにVISAの期限が1年も残っていないことに気付き、後悔したくない!!と思った私は彼に「同棲しませんか?」と自ら提案していました。


彼は快く受け入れてくれて、すぐに同棲開始。


初めての外国人の彼氏に戸惑いながらも、優しく接してくれる彼と楽しく過ごしていました。


その後VISAの期限が切れ帰国。

同棲していた期間は約10ヶ月ほどでした。


そこまで長くなかったため、帰国してからは"遠距離がうまく続かずお別れしてしまうだろうな"とお互い思っていました。


しかし、遠距離の期間にお互い遊びに行ったり来たりして月日は経ち、お付き合いを開始してから2年目の夏、日本に遊びに来た彼を両親に紹介しその後プロポーズしてもらったのです。


2019年の11月、今度は私がオーストラリアへ行き彼の親族と会食、正式に婚約者として認めていただきました。



24.国境閉鎖、長い遠距離恋愛の幕開け


当初は彼に2020年2月頃に来て欲しいと言われていました。


冬の旅行後、そのままオーストラリアに滞在する選択肢もあったのですが、仕事で新人指導を任されていた私はその責務を全うしたいと彼にお願いし、2020年4月に出発することを約束しました。


その年の3月末にコロナの影響でオーストラリア国境閉鎖。

長い長い遠距離恋愛の幕開けです。


当初は、2020年の年末頃には開くかな~なんて呑気なことを言っていましたが、国境は開きませんでした。



25.話し合いを重ね、遠距離を乗り越える


私たちの場合、コロナ以前から遠距離恋愛だったので、合計3年8ヶ月の遠距離期間を過ごしました。


渡豪予定直前の国境閉鎖だったため、自分の行動力のなさをかなり責めました。


また、彼も「2月に来てもらう事をもう少し強くお願いできていれば、もしかしたら今は一緒になっているかもしれない」と後悔を隠せない様子でした。


渡豪できなくなった直後は、お互いを責めてもしょうがないと思い慰め合っていました。


私は、仕事を辞める直前の渡豪中止だったため、継続して仕事ができることを幸いと思い仕事に没頭していました。


彼はコロナの影響から仕事が休業となり家にいることが長くなっていったのです。


遠距離中、彼との未来予想シミュレーションを繰り返していました。


今後一緒になるにはどうしたら良いのか?

VISAの申請方法、

婚姻関係の結び方、

どちらの国で一緒になる方が早いのか?

コロナ渦で制度は変わったのか?

日本の場合、

オーストラリアの場合、

両方の側面から情報収集し、そのときに自分が行動できることをできるだけ詳細に調べました。


私の特性上、最悪の状況も視野に入れるため、もしこのまま何年も彼と一緒になれなかった場合も想定しました。


その場合の対処法や、

マンネリ化を解消するにはどうしたら良いのか?

彼はどうしたいのか?

私だけの考えでは一緒に乗り越えていけないと思い、自分の正直な気持ちをぶつけ、彼の意見もしっかり受け止めようと努力しました。


正直、この会話を切り出したら返答によっては別れてしまうかもしれないな、と思う状況もありましたが、お互いのコミュニケーションを大切にしてなんとか3年8ヶ月続ける事ができたのです。


遠距離の最中、一緒に住んでいたときよりもずっと彼のことがわかってきたし、考え方や好きな物・嫌いな物もよくわかりました。


また、お互い距離があっても一緒に楽しめるエンターテイメントを見つけて一緒に楽しんだりもしました。


ある程度の距離感を保ちつつも、愛情表現をいつも欠かさず大切にしていました。



26.国境が開くとすぐに渡豪


今までいろんなことをシミュレーションしていたおかげで、国境が開くかもしれない!?という情報が入った時すぐに行動に移す事ができました。


退職の準備や渡豪の準備、書類手続きの準備などなど。


直前までどうなるかわからなかったので、実際に2021年12月15日に国境が開いたことを確認するとすぐに手続きを済ませ、12月21日には日本を出発していました。



27.これからがやっとスタート


翌22日に無事オーストラリアへ到着。


2年以上我慢した、オンラインじゃない本物の彼との再開を全身で感じ、ものすごく嬉しかったのを覚えています。


遠距離になってからの3年8ヶ月間は、一緒に過ごしたとしてもお互いの旅行中各1週間ぐらいだったので、今はずーっと一緒にいられる喜びを感じています。


到着してからも、今までのシミュレーションによる情報収集が役に立ち、結婚、パートナーVISAの申請など観光VISAで滞在できる3ヶ月の間にすべてを無事済ませることができました。


この3ヶ月の間、たまに文化の違いや価値観の違いで喧嘩することもありますが、4年弱の遠距離を乗り越えられたのだから、こんな些細なこと乗り越えられない訳がない!!とお互いいろんな価値観を共有しながら夫婦生活を送っています。


これからはお互いの心地よさを重視して、楽しい夫婦生活を送っていきたいと思っています♪





いかがでしたか?


私が幼少期から母からの愛情をうまく受け取れず、

そのため他人に対してどう愛情を持って接して良いかわからず孤立していたこと


また、孤立することを恐れて顔色をうかがったり

偽のポジティブ思考で自分をごまかしていたり

どん底に落ちるほどの気持ちの落胆の経験したり

危機的状況の経験をしていることを知っていただけたかと思います。


いろんな経験を繰り返す中で

私の中で形成されていった処世術、脳内シミュレーション

それにより職場の上司・同僚とも良好な関係を築き、

プライベートでは4年弱の遠距離恋愛を乗り越え

今では旦那さんと楽しい毎日を送っています。


夫婦関係はまだまだ歩み始めたばかりなので

うまくコミュニケーションをとれないこともありますが、

今、コミュニケーションに自信がない

職場でのコミュニケーションがうまくいかない

パートナーとの仲がうまくいってない

など


コミュニケーションに関してモヤモヤされている方に

私が今まで培ってきた経験で、

あなたにささやかなヒントがお渡しできるかと思います。


不安に陥ってなかなか自分の思考にまで戻ってこれない方

思考停止して行動に移せない方

コミュニケーションに自信のない方

考え過ぎてしまって頭の中が迷路の様になってしまう方

などなど


1度私の無料セッションを受けて

脳内迷路をクリアにしてみませんか?


詳細をご希望の方は、CONTACTにあるお問い合わせからどうぞ♪




自己紹介(長編)2へようこそ!!


自己紹介(長編)1はもう読まれましたか?


読まれたというあなた!!

里美ワールドへようこそ!

もう虜ですね(笑)


読まれていないあなた!!

自己紹介(長編)1の続きになるので

そちらを読まれてから、こちらの記事に戻ってきてくださいね♪




それでは前回の続き<目次>9~どうぞ!



<目次>

(1~8は自己紹介1へ)

9.回避行動のためのシミュレーションが始まる

10.ネガティブな自分に蓋をしたことで、知らないうちに体に異常をきたす

11.やっと思いを伝えられるようになり、味覚異常完治

12.楽しかった職場もだんだん変わっていく

13.よし、海外へ行こう

14.私ってこんなにできない子だっけ?

15.適応障害と診断

16.心の休養を求めてタスマニアへ




<本文>


9.回避行動のための脳内シミュレーションが始まる


昔から女性グループでの深い関わりを苦手としていたのに、なぜかほぼ女性である看護師という職業を選んでしまいました。(これは小さい頃、母から「看護師はいい職業だよ!」と言われ育ってきたことからだと思います。母に認めてもらいたかったのだな~。)


病院に就職してからは、さすが女性の多い職場!!

典型的なお局様

その日の感情に左右されまくりの機嫌が変幻自在の先輩

男性看護師や医師の前では声色が変わる魔性の先輩

我が道を行くタイプの先輩などなど

いろんなタイプの先輩方に揉まれ、顔色をうかがい、気を遣う日々に逆戻りの生活をしていました。


しかし、この顔色を伺うスキルはひょんなことから役に立ち始めたんです。


看護師の仕事柄、患者さんをいろんな角度で観察し、今起こりうる最悪の状況を想定して、それを回避する行動をとらなければなりません。


患者さんの顔色をうかがう事はもちろんですが、上司の機嫌が良いとき、悪いときの観察をしていました。


また、誰かがミスや注意を受けている所を観察し、やってはいけないこと、その人の地雷ポイントの情報を収集するようになっていったのです。


その情報を活用して、もし現時点で最悪の状況が起きてしまったら・・・

どのように患者に対応するか?

どのように先輩に説明するか?

どのように助けを呼ぶか?

どのようにアプローチするのがスムーズか?

などいろんな事をシミュレーションしていたのです。


怒られる行動を回避するという幼少期からの行動と、顔色をうかがうといった行為が、看護師の観察や対応スキルと合わさって、脳内シミュレーションというスキルを形成していきました。


シミュレーションのトライアンドエラーを繰り返していくことで

どう先輩に質問すると快く教えてもらえるか?

機嫌の悪い先輩にどう声をかけるか?

がだんだんわかってくるようになり、職場での地雷回避ができるようになっていったんですね。




10.ネガティブな自分に蓋をしたことで、知らないうちに体に異常をきたす


偽のポジティブ思考のおかげで、職場では「悩みなんてなさそう」といわれることも結構ありました。

私にもそれなりに悩みはあるのだけど・・・


この印象のせいでなかなか相談できる友人もおらず、本来顔色をうかがい不安が多いネガティブな私により一層蓋をするようになりました。


そんな中、先輩の期待に応えようと必死に勉強して実践してを繰り返していた時でした。

突然、舌の右半分の味覚を失ってしまったんです。


初めは戸惑いましたが、そのうち治るだろうと思い放置していたんですね。

しかし、何日か経っても一向に味覚が戻ってこないことに不安を感じ

同期にちらっとそれとなく話してみたんです。


すると「それ大丈夫?!何か問題があるんじゃない?!」と。

そこまで深刻に受け止めていなかった私は、急に不安になり先輩に相談。

すぐに上司へ報告し、医師にかかることになりました。


就業時間内に医師にかかることになってしまい、

職場の皆さんに迷惑をかけることになってしまった事でものすごく申し訳ない気持ちになりました。


いろんな検査をしましたが、どれも異常なし。

結局はストレスかもしれないという結論にいたり、

ビタミン剤を服用しながら様子を見ることになりました。




11.やっと思いを伝えられるようになり、味覚異常完治


看護師を始めてから、必死で勉強をし、先輩と仕事帰りによく食事を一緒にさせてもらえるようになりました。

頑張っていることを認めてもらい、理不尽な対応に対する憤りなども良く理解してもらえました。


先輩と楽しく会話したり、相談を聞いてもらえるようになると

いつの間にか味覚障害は治っていました!




12.楽しかった職場もだんだん変わっていく


楽しかった先輩との食事や旅行、プライベートで楽しかったのはあっという間に過ぎていきました。


1年、また1年と経過していくうちに後輩が増えていき、責任のある役職について行くにつれて先輩方がぞくぞくと退職。

指導者という立場になったことで、いままで気づかなかった上司や医師との関わりに違和感を覚え始め、楽しい職場はいつの間にかなくなっていました。




13.よし、海外へ行こう


自分の看護師としてのスキルを向上させるために情報収集をしていたところ、海外で活躍されている看護師さんのサイトに目がとまりました。


海外では、どんどん自己責任で自分のスキルを向上させることができることや、医師と対等に堂々と仕事をしている姿が書かれていました。


このサイトは私にとってこれ以上ないキラキラした世界!私が今モヤモヤしているものを払拭してくれる最高の環境だと思ったんです。


このとき海外で看護師になる事を決意。

上司を説得し、お金を貯め、英語教室へ通い、看護師7年目の春、オーストラリアへ行きました。




14.私ってこんなにできない子だっけ?


海外に行ってからは、ドタバタの毎日でした。一人暮らしもしたことがなく、学業に家事にてんやわんやです。

同日オーストラリア到着の同期がいたのですが、その中には英語が堪能な方が多くいました。


私からみればかなりスマートに海外生活に順応している様に感じ、人生で初めて強い劣等感を感じたのです。

渡豪前にあれだけ勉強した英語も現地ではほとんど意味をなさず、見よう見まねで買い物をし、自炊もうまくできない。


自分より勉強できる子はたくさんいる。

私って何でこんなにできないのだろう・・・。


いつの間にか劣等感の塊となり、海外で看護師になる事を夢見ていた頃の私はどこかに消え失せていました。




15.適応障害と診断


劣等感を抱きつつも、なんとかして生活していましたが、顔色を伺う自分は相変わらず。

人見知りも相まってこの気持ちを吐き出すことのできる友人はいませんでした。


そんな中、ある時を境に急に涙が出てきたり、急にイライラしたりと自分の感情のコントロールがきかないことに気づきました。


誰も相談できる相手がいなかった私は、日本語の情報誌にあった心理カウンセラーの方の記事を読み、この人なら話せるかも・・・と予約を取っていました。

その方のカウンセリングを受けるにあたり、現地のクリニックを受診しなければいけませんでした。


すぐに医師との問診が始まり、告げられた病名は適応障害。


他人と自分の比較や、自分が理想としていた未来と現実とのギャップに押しつぶされていた状態でした。




16.心の休養を求めてタスマニアへ


もともと田舎出身、田舎暮らしが長かった私は、シドニーという都会で過ごすことにさえ敏感に反応してしまい、心の休息が得られない状態でした。

このままでは、学校卒業後の就業も難しいし、私の当初の目的を果たすことはできないと感じ、オーストラリア南方の島タスマニアへ向かいました。


タスマニアへは同じくそこへ行きたいと行っていた同期とともに向かい、一緒に生活することとなったんですね。

同じ看護師同士、また年も近く面倒見も良く、私にとってはお姉さんの様な存在の人でした。


彼女はとても気さくな性格で、ややお茶目なところもあるため、気負うことなく自分の気持ちをさらけ出すことができたんです。


タスマニアでの生活では山あり谷あり。


仕事が見つからず貧乏生活、同じ宿泊施設に住む外国人の奇想天外な行動に頭を悩まされ、日本人だとなめられた経験もありました。

なめられてばかりではいかん!!と奮起し、海外の方にも片言の英語で自己主張するようになっていきました。


この経験からかなりタフに物事を捉えられるようになり、はっきりと自己主張する度胸がついていったんですね。




ここまでお読みいただきありがとうございます!

さて、次はラスト!!自己紹介(長編)3です。

楽しみにお待ちくださいね♪

自己紹介(長編)にお越しいただきありがとうございます!


この長編の自己紹介は長いので3部に分けました♪

お時間のあるときに、ご一読いただけると

私がどんな人か分かっていただけるかな、と思います。


そんなに長いの~~?!

と思われる方、

PLOFILEにある私の自己紹介(短編)でも十分ですが

もっと楽しんでいただける?壮大なストーリーとなっておりますので

暇な時間にご一読ください。


それでは私の壮絶な(汗)ヒストリーをお楽しみください^^



<タイトル>

人の顔色をうかがってばかり、いつも孤独を感じ不安に押しつぶされそうだった私。

幾度となく危機的状況や、気分が底辺まで落ち込むことが起きても、這い上がってきた私の

考え方ができるまで



<目次>

1.誰か一緒にいて欲しいときはいつも家に1人、孤独を感じ愛情に飢えていた幼少期

2.怪我をしても怒られるかも、痛くても母に告げられず

3.友人とのコミュニケーションの取り方がわからず孤立、周りの顔色をうかがい始める

4.母からの愛情ほしさに学級委員へなくなく立候補し、落選

5.友人から突然の無視、偽のポジティブ思考発動

6.親友が突然不登校、困惑

7.気を遣って顔色をうかがっている人に苛立ちを覚える

8.また顔色をうかがう日々の再会




<本文>

1.誰か一緒にいて欲しいときはいつも家に1人、孤独を感じ愛情に飢えていた幼少期


まだ私が幼稚園に行く前の話です。

両親が家にいるときでした。

「今お父さんに近づいちゃダメ!お勉強してるでしょ!」

と、父親に近づくと怒られてしまったのです。

「なんで怒られるの?お父さんに遊んでもらおうと思っただけなのに・・・。」

なぜ怒られたかわからない私は、とりあえず怒られる行為を避けることから始めました。

(この記憶を母に話すと、当時父は再就職のための勉強をしていたようです。)


母親を怒らせるのは、父親に近づいたときだけではありません。

仕事をしない父に対して、いつもイライラしており、母に近づくことも怖く感じていました。

怒っているときの母はまくし立てる様に話し、また眉間のしわが怖さを増強します。

小さかったため、話していることはわからないけれど、母の表情を見れば一瞬で怒っていることを察していました。

その表情が怖くて泣いても、母の表情は変わりません。

泣いている私に怒りをぶつけることもありました。

このころから、気づいたら母の表情を読み取る事が癖付いていったのです。


その後両親は共働きになり、幼稚園入学後、私はよく祖母の職場に預けられていました。

家に帰っても両親はいません。


小学生になり、風邪を引いて40℃ほどの熱が出たときも、私は家にたった1人・・・。

心配してもらいたくて、2~3時間毎に計測した熱を紙に書き、「こんなに熱上がったのだよ!」と帰宅した母親に話したこともあります。

しかし母は特にリアクションもなく、忙しそうに夕飯の支度を始めました。

40℃も熱が上がったら、「大丈夫?今熱はない?よく頑張ったね!」などの反応を期待していた私は、母の反応にショックを受けました。しかし、忙しそうな母にこれ以上ごねると機嫌を悪くしてしまうと思った私は、思っていることと裏腹に「私は全然平気!元気!」と伝えました。


おたふく風邪の疑いがあり、学校から家へ帰らなければいけなくなったときもこんなことがありました。

母はなかなか迎えに来られず、担任教師が連絡。保健室で待っている私の耳に飛び込んできたのは「1人で帰らせられないか?」と電話口で聞いた母に対し「信じられない!」と憤る教師の声でした。

これって普通じゃないの・・・?

両親はすぐに迎えに来るものなの・・・?

もしかして私、愛されてない・・・?

私は今まで母の態度は普通だと思っていたのですが、先生の反応を見て初めて母からの愛情不足を自覚しました。

イライラしている母の様子が目に浮かんだので「1人で帰れます」と言いましたが、先生に「待っていなさい」と言われ待つしかありませんでした。

やっと母が迎えに来られて怒っていると思いきや、先生がいるのでよそ行きの顔・・・

怒られなかったなと安堵し、帰宅後母と一緒に過ごせると思いきや母はそのまま仕事に戻り、また家に1人。

「私ってやっぱり愛されていないのかな・・・?」


小さい頃の母親の記憶は、怒って眉間にしわを寄せている表情がほとんどです。

笑いかけてもらえた、褒められた経験もあるのかもしれませんが、怒っている時の表情が痛烈でほとんど覚えていません。



2.怪我をしても怒られるかも・・・、痛くても母に告げられず


ある日母の目を盗んで遊具で遊んでいたとき、足を滑らせた私は股に出血するほどの怪我を負ってしまいました。しかし、痛みをこらえて母には告げませんでした。

以前風邪を引いたときもそうでしたが、私を病院に連れて行くことで仕事を休まなくてはいけないことに対し、母はあまり良い顔をしなかったからです。

また、幼少期からアトピーでよく皮膚科に通っていたのですが、かきむしっている私をかわいそうな目で見つめる母の顔を見るのが辛くて、でも痒くて・・・これ以上母に心配かけることをしたくなかったからです。

幸い化膿する事もなく、ただただ痛みをこらえて自然治癒していきました。



3.友人とのコミュニケーションの取り方がわからず孤立、周りの顔色をうかがい始める


兄弟は兄1人で、遊び方は兄から教えてもらっていました。

髪を切りに行くのは、兄と一緒の床屋さんでショートカット。服は兄のお下がりもあり、外見は男の子に近かったです。そのため、性格もやや男っぽく成長し、学校で一緒に遊ぶのも男の子と遊ぶのがとても気楽でした。

女の子らしい子に憧れはあったのですが、どんな話をすれば良いのかわからず、自分から積極的に話しかける事はできませんでした。

ある日、砂場遊びでグループを組まなければいけなくなったとき。いつもの男の子グループに入ることができず、話せそうな近所の友達もいない。完全に出遅れました・・・。

唯一入れてもらえそうな人数で残っていたのは、ほぼ話したことのない女の子のグループしかないという状況でした。

勇気を出してグループ内に入れてもらい、かなり顔色をうかがって、気を遣っての繰り返し。このときから女性グループに所属する難しさを実感しました。

幼少期からの母の顔色をうかがう状態から、小学校のクラスというコミュニティー内で人の顔色をうかがうという状態に変化していったのです。



4.母からの愛情ほしさに学級委員へなくなく立候補し、落選


小学校3年生頃から毎年、新学期が来るのが嫌で嫌でたまりませんでした。その理由は学級委員長の立候補の時期が来てしまうからです。

母は毎回、立候補することを私に示唆してきました。立候補しなかったときは、露骨に落胆した表情を見せるのです。

落胆した母を見るのが辛くて、ある年勇気を出して立候補したことがあります。私よりも適任がおり、立候補してもどうせ落選することが目に見えていました。しかし、このまま立候補しなかったら、また母に落胆されてしまうと考えると立候補を取り消しにする勇気はありませんでした。

結局結果は落選。落選した悲しみより、これで母の落胆した顔を見なくて済むと思い、安堵の気持ちで涙がこぼれました。



5.友人から突然の無視、偽のポジティブ思考発動


学年が上がるにつれ、仲良くしていた男の子も素っ気なくなり孤立。

女の子の友人を見つけなければ!と幼稚園の頃から仲の良かった子のグループに入れてもらい、うまくやっていると思っていた矢先、無視(シカト)が始まりました。

特に何をしたか自分でも理由がわからないのですが、私とはもうしゃべらないと言われてしまいます。3人の友人の中で、一番仲の良いと思っていた子からも「私も無視されちゃうからこんなことしたくないけどごめんね」と言われる始末。

顔色をうかがって、気を遣っていたにもかかわらずなぜこんなことに・・・。またも孤立してしまいました。

この経験から、顔色をうかがっても報われないと言うことに気づき、「どうせ1人でいいや、なんとかなる!」と開き直ることにしました。本音は1人では寂しく、みんなと一緒に楽しく過ごしたいのです。しかし、自分を守るために、偽のポジティブ思考が始まりました。

本来持つ不安を覆い隠す様に、ポジティブ思考で恐れる気持ちに蓋をする様になったのです。



6.親友が突然不登校、困惑


友人からの無視がきっかけで発動した、偽のポジティブ思考。

今までは顔色をうかがってビクビクしていた自分が、なんとなくですが少し強くなれた気がしていました。その後、顔色をうかがうような友人達とつるむことはなくなり、新しい友人ができました。その子は本当に物腰柔らかで、気兼ねなく話せることができる唯一の友人でした。そのときの私は、彼女のことを一番の友達、親友だと感じていたと思います。

彼女とはその後の小学生生活ずっと一緒で本当に仲良くしていました。田舎で育った私達は中学校も同じで、このままずっと一緒だと思っていました。

しかし、人生はそんなにうまくいきませんでした。残念なことに、中学生に上がり別々のクラスになってしまったのです。やや不安でしたが「きっとなんとかなる!」と、ここでも偽のポジティブ思考を発動させ乗り切っていけると思っていました。

しかし、大丈夫と思っていたのも束の間・・・休み時間に彼女のクラスを訪れると彼女がいません。体調崩して休んでいるのかな?と思い、特に気にもとめていませんでした。しかし、次の日も、また次の日も学校には来ていません。さすがにおかしいと思い、彼女のクラスメイトに何があったのか訪ねましたが、クラスメイトもいまいち理由がわからず、気づいたら何週間も学校へ来ていませんでした。心配になって、先生に理由を訪ねたところ、登校を拒否していると知らされました。

なんで?何かいじめでもあったの?

彼女はとても賢く、確かにやっかむ人は万が一にもいたかもしれないけど、なんで?

今までそんなそぶりも見せなかったし、特に相談もされなかった。なんで?

なんで相談されなかったんだろう?私じゃ役不足だった?

親友だと思っていたのに・・・。

私じゃ何もできなかったのかな・・・。

先生から登校拒否の事実を聞かされてから、私の頭の中ではいろんな思考がぐるぐるかき乱されていました。

何度か彼女の家へ訪ねたことはありましたが、顔を見ることはできず、結局理由もわからず彼女の口から話しを聞くことはかないませんでした。

親友の支えになれなかった自分を責めました。

また自分は本当に彼女の親友だったのか?そう思っていたのは自分だけ?

相談する対象にもなっていなかったのかな?

いろんな自分の不甲斐なさ、またエゴが渦巻き私の心も廃れて行きました。考える事に疲れた私は、いつしか逃げるように彼女の事を考える事をやめ、蓋をしていました。



7.気を遣って顔色をうかがっている人に苛立ちを覚える


友人の事を考えるのに蓋をした私には、いつしか日常が戻っていました。彼女のことを考えても、考えなくても日常は日々過ぎていきます。ただ、私の中に残ったわだかまりは、私のコミュニケーションに影響を与えていました。

友人と深く関わることに不安を覚え、深く関わる場合は、自分を求めてくれているのか?頼りにされているか?で親交の深さを測っていました。頼ってもらえるように相手のことをよく観察し、友人が喜びそうなことを考え、友好な関係が気づけるように努力していました。常に笑顔を絶やさず、友人が笑ってくれるのであればオーバーリアクションをしたり、ちょっと悪ノリした発言をする事も苦にはなりませんでした。

友人と楽しく過ごすための努力をしていた私は、このとき顔色をうかがってビクビクしているだけの人を見ると、昔の自分を見ているようで苛立ちを覚えました。

ビクビクしているだけでは、ただ構ってくれる、気にかけてくれる人を待っているだけと同じ。本当に友人を作りたいと思っているのであれば、自分を知ってもらう、良いと思ってもらえる努力をしないと誰も振り向いてもらえないと思っていたからです。



8.また顔色をうかがう日々の再開


小学校・中学校は同じ学区内の顔ぶればかりであったため、気兼ねなく生活できていたのが、高校生活では一変しました。知らない顔ぶれが増え、またハキハキとした気が強めの同級生が多くいる学校でした。

少し強くなれた気がしていたのは中学まで。高校に進学してからはまた周囲の顔色をうかがう日々に逆戻り。高校進学初日には、あまりにも緊張しすぎて体調が悪くなり、今までほとんど利用したことのない保健室へ逃げ込んでいました。

気の知れた人以外と深く関わることを苦手としている私には、新たに関係を深めることにかなり難色を示してしまっていました。高校ではすでにできあがったグループの中になんとか入ることができ、身を潜めていたのです。その中にいる間は、小学生の頃と同じように顔色をうかがって、気を遣って・・・。結局深く関わることにおびえていた私は、つかず離れずの距離を保つことでその場をしのいでいました。休み時間などは、中学の頃からの友人とそのクラスの友人と一緒に過ごし、自分のクラスではいろんなグループの子と話せるけど、そこまで仲良くはないといった状態が高校卒業まで続きました。



自己紹介(長編)2へつづく